天才的な観察眼と推理力を持つ私立・諮問探偵である。ロンドンのベーカー街221Bにあるハドスン夫人所有のアパートで、相棒のジョン・H・ワトスン医師と共同生活をしていた。
なお、フルネームはウィリアム・シャーロック・(スコット・)ホームズ(William Sherlock (Scot )Holmes)といわれている。
人物
スイスのマイリンゲンにあるホームズ像。インバネス・コートに鹿撃ち帽という服装は作中になく、挿絵や演劇によって作られたイメージである容姿は『緋色の研究』で詳しく描かれている。体格は痩身で身長は少なくとも6フィート(180cm)以上、鷲鼻で角張った顎が目立つ。作者ドイル自身はとがった鼻のインディアンのような風貌を想像していたという[1]。
性格は極めて冷静沈着。行動力に富み、いざ現場に行けば地面を這ってでも事件の一端を逃すまいと血気盛んになる活動家。反対に兄のマイクロフト・ホームズはシャーロックよりも鋭敏な頭脳を持つが捜査に興味がないために探偵にはならなかった(「ギリシャ語通訳」)。
アントニオ・ストラディバリ制作のヴァイオリンを所有しその名手。ボクシングはプロ級(当時はベアナックルの「ロンドン・プライズリング・ルールズ」から「クインズベリー・ルール」制定直後)の腕前。化学実験を趣味とする。ヘビースモーカー。事件がなく退屈すると拳銃で壁に発砲して弾痕でビクトリア女王のイニシャルを書いたり、コカイン・モルヒネに惑溺する悪癖があった。薬物に手を出すのはワトスンが何年もかけて止めさせた(ただし、完全に止めたわけではなく、いずれ再発する可能性があったようだ)。
大学時代に友人の父親にまつわる事件(「グロリア・スコット号事件」)を解決したことで、探偵業を志すようになり、大学卒業後に大英博物館近くのモンタギュー街で開業した。1881年(が有力とされている)、ベーカー街に引っ越す際に、スタンフォードの紹介でルームシェアの相手としてワトスンと初めて出会う。このとき、ホームズはその風采を見ただけでアフガニスタン(アフガン戦争)帰りだと見抜き、ワトスンを驚かせた。さらに、相手の用件も聞かずに、自ら確立したばかりの新しい血液検出法について熱心に語り出したことでもワトスンを驚かせた(『緋色の研究』)。
ワトスンと共にベーカー街の下宿で共同生活を始めた頃から名声が高まり、海外からも事件解決の依頼が寄せられるようになった。1891年に犯罪組織の頭目ジェームズ・モリアーティ教授との対決(「最後の事件」)で、モリアーティ教授と共にスイスのライヘンバッハ滝にて失踪。モリアーティ教授と滝壺に落ちて死亡したと思われた。だが、落ちたのはモリアーティだけであったと後に判る(「空き家の冒険」)。ホームズは生きていたが、モリアーティ一味の残党から逃れるために姿を消していたと答えている。日本を発祥とする東洋武術のバリツを体得しているという設定があり、このバリツのお蔭でモリアーティ教授との戦いから生き永らえたという(「空き家の冒険」)。
モリアーティ教授との対決後の「失踪中」の行動ははっきりしない(チベットなどアジアにまで足を運んでいたという示唆もある。「空き家の冒険」の項を参照)。ホームズ自身の説明によると、マイクロフトに資金を援助してもらいながらモリアーティ一味の残党を倒そうとしたが上手く行かなかったという。
失踪から3年後、モリアーティの腹心の部下・モラン大佐を捕まえるため、ホームズはロンドンに戻った。老人に変装してワトスン宅を訪れ、ワトスンが背中を向けた隙に変装を解いて正体を明かすという茶目っ気のある方法で再会したためワトスンを気絶させるほど驚かせた(「空き家の冒険」)。モラン大佐の逮捕後は、失踪前と変わらず探偵業を続けた。晩年のホームズは探偵業を引退して田舎で養蜂の研究をしていたが、第一次世界大戦の直前には政府の依頼でドイツのスパイ逮捕に協力した(「最後の挨拶」)。
生年月日や家族など私的な事柄については、本編中にはっきりした記述はない。ただ、生年月日は1854年[2]1月6日とする説が有力である。ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』の台詞を複数回引用したり、『恐怖の谷』で1月6日に誕生日を徹夜で祝ったともとれる描写があることから、多くの読者に支持されている。没年に付いては1920年代から1950年代まで様々な説がある。最も強く支持されているのは「現在も生存している」とする説だが、これを除けば1957年1月6日説(103歳没)が最も長生きな説である。また出身はイングランドのヨークシャー州北ライディングと設定されているようである[3]。
家族については、兄マイクロフト以外はほとんど言及がない。父はサイガー・ホームズ、母はヴァイオレット・シェリンホードといわれている。「ギリシャ語通訳」では祖母がフランスの画家オラス・ヴェルネの妹だと述べている。また、「ノーウッドの建築業者」ではワトスンが開業していた病院を買い取ったヴァーナーという若い医者が、ホームズの遠縁に当たるという記述が見られる。
出身大学についても本編中にはっきりした記述はない。だが、「グロリア・スコット号事件」でトレヴァー青年をカレッジで唯一の友人と記述し、「マスグレーヴ家の儀式」でレジナルド・マスグレーヴを学寮が同じでちょっとした知り合いと記述している。この2人は同じ大学であるとすると矛盾が生じるため、ホームズは2つの事件の間に大学を変わったのではないかと考えるシャーロキアンもいる[4]。その2校の大学は、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学であり、ホームズが1つの大学の学生であったと考えている研究者も、彼が通った大学はこの内のいずれかだろうとみなしている[5]。
なお、ホームズはワトスンが書く自分の物語に関してはその書き方を特に批判している(だが、後にワトスンに「そこまで言うなら自分でやるように」と怒られて、自分で書く羽目になった「白面の兵士」では読者を喜ばせるためにワトスンと同じ書き方をしてしまい、反省する一幕がある)。また、ワトスンはホームズの許可を貰わなければその事件に関する物語を書くことは出来ない。基本的に自分の名を世間に知られるのは好ましくないと考えている(その割には、ワトスンを自分の「伝記作家」と呼ぶ事もあるが)ため、中々許可を出さないが(他にも依頼人の立場などを考慮していることもある)、稀にいきなりワトスンに連絡を取って一方的に許可を出すこともある[6]。
人物評においては辛辣であり、後にその発言を覆しているものの先輩格であるオーギュスト・デュパンやルコックを批判したりしている(『緋色の研究』)。
ホームズは女性嫌いとしても知られており、基本的に女性を信用していないようである(「どんなに立派な女性でも100%は信用できない」と言ってワトスンの機嫌を損ねたことがある)。ただし、女性の勘については一目置いており、また女性には紳士的に接する。ワトスンがメアリー・モースタンと結婚した時も「お祝いは言わないよ」と言っている。もっとも、メアリーに悪い感情を持っていたわけではないようで結婚後、開業医になったワトスンを事件に誘う時もメアリー(あるいはそれ以外のワトスンの妻)を気遣うような発言もしている(「株式仲買店員」)。
彼の多才な能力はそのまま犯罪に使うことも出来るため、ホームズ自身、自分が犯罪者になれば大変なことになっていたであろうという旨の発言をし、また犯罪紛いの行動を取ったときにレストレイド警部にも釘を刺されている。
再三にわたってナイトの地位を辞退している。本人は肩書き無しを好むためといっている。その一方でフランス政府からのレジオンドヌール勲章は受章している(「金縁の鼻眼鏡」)が、この矛盾については本編内で明確な説明はない。
作者は「シャーロック・ホームズ」と名付ける前に「シェリングフォード」(Shellingford)ないしは「シェリンフォード」(Shellinford)と仮に名付けていたと言われている[7]。